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原田知世とあのころ

年末に家の者と出かけたCDショップで、DVDを2枚買った。
ひとつは「となりのトトロ」。もはや説明は要らないだろう。
7月にテレビでやっていて、当時2歳前だった下の息子が最後まで見ていてすっかりはまってしまい、ついにDVDを買わされる羽目に。
今更である。

もうひとつ。
愛情物語 初回限定生産エディション
原田知世 / / 角川エンタテインメント




この作品を知っている人は、かなり年齢層が限られているかと思う。
何を隠そう小学校高学年の頃の私は、主演の原田知世のファンだった。
1982年、小4だった私は、テレビ版の「ねらわれた学園」で彼女を知る。
彼女はこれがテレビ主演2作目で、翌年「時をかける少女」で映画デビュー、主題歌もヒットして人気に火がつく。
この「愛情物語」は、それに続く映画主演作だが、その後は「時をかける少女」ほど話題になる作品でもなく、私も公開翌年だかのテレビのロードショーでの放送で見ただけで、詳細はまるで忘れてしまっていた。
DVD買うほどの作品か?とも思ったが、個人的な懐かしさが勝ってしまった。

この映画の公開当時、私は映画館でこの作品を見ていない。
公開は1984年7月14日とある。小学6年生の夏のことだ。
原田知世が好きだと家族や友人に公言しながら、この時点では彼女の映画を映画館で見てもいないし、レコードも買っていなかった。
少ない小学生のこづかいとはいえ、お年玉を貯めていたりもしたし金銭的には不可能ではない。
ただなんとなく気後れしていた。
自分の好きな芸能人の映画を見にいったり、レコードを買ったりすることが、当時の自分にはすごく大人に思えたのだ。
せいぜい本屋で赤川次郎の原作の小説を買ったくらいか。
公開前に、この作品の制作過程を追った番組がテレビで放送された。
見に行きたいなあ、でもなあ‥。と大いに悩んでやはり「行きたい」と言えなかった。
その映画が20年余の時を経て、自分の手元にある。

前作「時をかける少女」は、今なお名作として語り継がれる映画である。
これを見て原田知世ファンになった人は多く、続くこの「愛情物語」は何かと「時をかける少女」に比較されるさだめをもった作品だったかと思う。
当時の私も、
「知世ちゃんの髪型がイヤだ」
「この茶色いジャケットの衣装もイヤ」
と、前作を最高基準にした評価を下していた。
しかし今見ると、当然ながら見方が変わる。

‥こんなにてんこ盛りな映画だったのか!!!

原田知世演じる主人公はミュージカル女優をめざしていて、継母とふたり暮らしである。
実の親は不明。
ただし、毎年誕生日に誰かからお花が届く。
彼女が拾われた時に持っていた赤いトゥ・シューズがぴったりになったら、1回だけその送り主を探しに行っていいという約束を継母としている。
ついにぴったりになった16歳の誕生日、ミュージカルのオーディションを1週間後に控えながら、彼女は旅立つ。
まず花を配送した花屋で、送り主と注文を受けた花屋を聞き、送り主の住所である金沢へと向かう。
そこは陶芸の工房で、確かに送り主と同じ名の中年の男はいたが、心当たりはないと言う。
彼女はしかし、焼き物の土を探しに旅に出るところだというその男に同行し、花の注文を受けた花屋のある長崎にいっしょに連れて行って欲しいと頼む。
男は東京に帰るよう説得するが、彼女はきかず、神戸で姿を消した男を松山で待ち伏せ、ついに男は根負けし、同行を許す。
男は彼女の姿に、若くして自ら命を絶った妹の姿を重ねていた。
やがて佐賀(有田?)をへて、長崎に行くことに。
長崎の花屋では、送り主の名に勝手にとある名簿から男の名を使われたことだけは分かったが、本当の送り主は分からず。
落胆した彼女が偶然見た写真館のウインドウに、自らの幼い頃の写真を見つける。
聞くとそれは、近くの豪邸の娘だという。
男と別れ、ひとりでその不気味な屋敷に入った彼女は、そこの主人から自分の本当の親のことを聞かされる。
屋敷を出た彼女は、黙って待っていた男の胸に飛び込む。
東京に戻った彼女はオーディションを受け、見事合格を手にする。
見に来た男と継母の姿が、まるで実の父と母のよう。‥

という話なのだが。
親子の情愛の話でもあり、ロードムービーでもあり、ミュージカル映画でもあり、ホラーっぽいシーンもあり、なんかもう
「こんなだったっけ?」
という感じだった。
旅のシーンでは長崎でもロケが行われていて、赤い欄干の西海橋(現在は赤くなかったような気がするが、どうでしょう)をどういうわけかオープンカーで走りながら2人でリンゴを食べるシーンとか、屋敷を出たあと男と抱き合うシーンが活水女学院でロケしたと聞き「活水に行きたーい」と思ったこととか、三角屋根の長崎駅の旧駅舎とか、20年の歳月を感じさせられた。
そういえば映ってた金沢行き特急(たしか雷鳥)も、クリーム色に赤のボディで、あーこのころはまだ国鉄だったっけと。

それより時代だなあと思ったのは、やたらに踊る主人公である。

いやこの作品は、ミュージカル女優を目指す女の子が主人公であるのでさほどの無理はない。
特急列車のデッキでも踊っている。
フェリーでも踊っている。
採石場でも踊っている。
夢の中とおぼしき場所でも踊っている。
オーディションが間近に迫っているのでしょうがないのだ。
これはすべて1984年という時代のせいだ。と片付けてしまいたい。
あまり詳しくないけど、当時は「フラッシュ・ダンス」が人気を博したり、マイケル・ジャクソンが「スリラー」を発表して西国の小学生でさえそのダンスを真似するような、そんな時代だった。
日本国内においてはアイドルブームで、田原俊彦や近藤真彦やシブガキ隊は毎年主演映画を発表し、そこでは話と全く関係なく彼らの歌と踊りが挿入されるなど、冷静ではいられない何かが存在していたのである。
この「愛情物語」はミュージカルオーディション前という設定がある。とはいえ、
「そんなに踊らんでも。」
と思うほどだ。ファンであっても。

この映画の後、クラスで同じく原田知世ファンになったK君が彼女のレコードなど買い込むのを見て、
「私も買おうっと!映画も見に行こうっと!」
と背中を押され、次の主演作「天国にいちばん近い島」からやっと映画館へ行けるようになった。
母の手による散髪をやめ、
「こんな髪型にしてください」
と、原田知世のブロマイド持参で美容室に行くようになった。
私が初めて買ったレコードは、シングル「天国にいちばん近い島」。
私が子供から少しずつ階段を上っていこうとするそのとき、原田知世がいたのだ。
中学に入り、私はなんでか尾崎豊→浜田省吾にはまり、彼女からは遠ざかってしまった。
それでも今なおテレビで原田知世を見ると、
「私は同性であるこの人の、どこに魅かれるんだろうな」
と思う。20数年前からの謎である。
# by akasatana-xyz | 2007-01-07 05:16 | この人が好きだ

年末2006

今年のカレンダーももう残り少なくなった。
ここ数年、クリスマスの電飾をつける家が増えて嬉しいということは去年も書いたが、今年もかような家を見るために意味もなく車で遠回りしたりと、ささやかな楽しみをもらっている。
それにしてもLEDの普及で、屋外に大掛かりなホームイルミネーションを施す家がぐっと増えた。
ああいうのは使い捨てではないから、毎年買い足す、つまり年々派手になっていく。
通常暗いはずの住宅街で、歓楽街のような一角になっているところがあり、不思議とそんな家が数軒かたまっている。
楽しいので伝染していくのだろう。
お金も暇もない自分でさえ、室内用ツリーに電飾を買い足し、窓際に置いてしまった。
このままでは日本はどうなる。
今に12月の家はどこもかしこもピカピカだ。
と思いきや、去年すごい電飾で自分を唸らせたとある家が、今年は闇の中だった。
「そんなの止めな!」
と資金と労力を注ぎこみすぎたお父さんが家族に制止されたか。
それとも、そのお父さんに何かあったのか。
豪華さを増す他の家のそばで、暗いその家がどうも気になる。
やはり、暗いのはさびしい。

自分でまとまった量の字を書くのも、もう年賀状くらいなのだ。
と気づいてから、やはり宛名も手書きで書こうと心がけている。
プラス2、3行ほど書き添える。
自分が出す年賀状など数十枚程度、図案は年賀状作成ソフトを使うものの、子供が寝てからの時間、3日くらいは費やす。
眠いが、これもまた楽しみだ。
10代や20代の人は、年賀状など出すのだろうか。
メールがあるし、mixiなどやってりゃそれだけでお互いの近況が分かる。
自分はその点では旧世代の人間らしい。
ネットで知り合って住所や本名を知らぬ友人、海外にいて郵便ではあまりに不経済で遅いと思われる友人には仕方ないが、自分が親しい人や尊敬する人や親戚にはモノとして手元に届くものを送りたいし、貰いたい。
余談だが気に入った音楽も、ダウンロードではなくCD買って手元に置きたい。
さて自分が出す年賀状は、親戚などに出すのと昔からの友人などに出すのと、2パターン作る。
前者をA、後者をBとすると、Aは家族連名で夫の絵・家族写真・子供の写真入り、Bは私個人名で私個人の近況報告が主体。
子供が生まれてからの知人には、今のところAしか出していない。
唐突にBを出すとあまりに不審である。
ほとんどが子供を介した知り合いだからなのだが、この中からいつしかBを出せるような、お互いに子供から手が離れたときに親友と呼べるような人が、私には現れるだろうか。
などと思う。
印刷して次に宛名を書くが、転居した人もいるし、市町村合併で表記が変わっている人もいる。
だから、今年もらった年賀状をまた引っ張り出したりする。
名前の漢字で悩まされたりすることもある。
「吉」の上の部分がこの人は「士」でいいのか「土」だったか、など。
相手の手書きだと確実なのだろうが、だいたい差出人本人の名前は印刷なので、たいてい謎のまま。
もし間違いなら失礼だなあと思いつつ、相手がこの印字された名で良しとしてるのだからと、その活字のまま書いている。

今年は生協の宅配に入ったので、年末年始の食料の買い出しは随分楽になりそうだ。
おせちは作らず、かといって1万2万のを買うわけでもなく、小人数用のかまぼこやら栗きんとんやらがセットになったのを注文した。
あと年越しそばと具。
大した量ではないが、これでも年末に買いに行くのはなかなか大変だ。
ごった返す店頭で、どれにするかまた迷うので。
かつ普段の食事と違い、
「そば買いにいくのが大変、ならラーメンにしとこう」
と簡単に代替品に差し替えるわけにはいかない。
必ずこれを買わねばというプレッシャーがあるのはどこの主婦も同じらしく、年末は早い時間に買い物に行かないといい品物は売り切れてしまう。
その必要性から解放され、その分家の掃除ができる、ほど現実は甘くなく、雑然とした中で新年を迎えてしまいそうだ。
いやまだ3日あるし、諦めてはならんが。
せめてもう少し片付けて、大晦日は子供とゆっくりそば食べながら、紅白か格闘技かで夫とチャンネル争いしたいものだ。

皆様の2007年がいい年でありますように。
# by akasatana-xyz | 2006-12-29 03:50 | なんてことない近況

子の嗅覚を信じられる親

実家に、近所の女の子がよく遊びに来ていた時期があった。

当時3歳のKちゃん。
「おばちゃんあそぼー」と言ってやってくる。
Kちゃんは歩いて3分くらいの距離を、顔見知りである私の母に会いに来ていた。
ひとりで。
お人形のようなかわいいKちゃん、しかし、いつもお相手できる余裕があるわけではない。
しかもKちゃんは、毎回勝手に出かけているらしかった。
近所とはいえ、お互いの家は見えず、道の途中で何かあったら大変だ。
Kちゃんを家まで送ると、Kちゃんのお母さんは、いきなりよその家に遊びに行ってしまうことにとても恐縮していた。
けれども近所の範囲内で我が子がひとりで出歩くことについては、それほど心配はしていないようだった。

首に幼稚園の保護者IDカード、腕に腕章、ポケットに携帯電話を入れて、毎日息子を送り迎えしている。
息子らは現在、4歳と2歳。
近所でも、まだ子供たちだけで出かけさせたことはない。
「子供から目を離すな」
とよく言われるし、そういう注意書きもよく目にする。
自分は間違ったことはしていないと思うし、幼稚園のほかのお母さんたちも似たりよったりだろうと思う。
でも20年前のKちゃんとお母さんの姿を思い出すと、
「これでいいのかな」
と思う。
子供を一方的に守るべきものと決め込むのは、何歳くらいまでなのだろう。
いつか離陸していくのに、助走を始めるのはどれくらいからなのだろう。
そう思いつつも、毎日のようにどんな怪談より怖いニュースが流れ、幼稚園では親でもIDカードがないと入れてもらえず、公園でさえ子供たちだけで遊んでいる姿は少ない。
大人の目は必要だ。
しかしこんな中で、
「これは危なそうだ」
と直感できる嗅覚は育つのか?子も、親も。

学生の頃、青春18きっぷでよく帰省していた。
定額で全国のJRに1日乗り放題という切符だ。
広島を出発して数時間、佐賀県の鳥栖から佐世保線に乗り換えると、車内はぐっと空いた。博多近くの混み具合が嘘のようだ。
車内には男の子がいる。大きいリュックを持っている。
たぶんこの子も18きっぷだろう。鳥栖駅のホームでも見たような気がする。と思っていると、向こうから話しかけてきた。
驚いた。
彼は横浜に住む中学2年生で、18きっぷを利用して全国を1人で旅しているらしい。
宿は各地のユースホステルで、今朝も宮島近くのユースを出てこれから佐世保へ向かい、すぐ鳥栖へ折り返して今夜は熊本泊だという。
もちろん親御さんも承知の上で、毎晩夜に電話することだけ言われているが、あとは自分だけで計画を立てて回っているそうだ。
彼本人も受け答えがしっかりしているし、それでいてませた感じではなく素直で、同じく18きっぷで全国を回っている大人たちからも可愛がられる人柄だと話をしていて感じた。
が、いくら本人がしっかりしていても、親御さんが過保護な家ならかような一人旅はさせてもらえないだろう。
子供の嗅覚を信じられる親。
しっかりした子と、子を信頼している親御さんの姿に私はとても感銘を受け、
「都会の親というのは大したもんだな」
と思った(今思えば随分的外れな感想だ)。
中学生だった彼は、今26歳になっているはず。きっと立派な青年になっているだろう。
# by akasatana-xyz | 2006-11-23 08:26 | まじめに

ここで会ったが10,000人目

去る10月24日、このブログの訪問者数が1万人を超えた。
ほんとうに、ありがとうございます。
開設が2004年の12月なので別に速いペースではないが、平凡な人間の不定期気ままな作文を、決して少なくはない人数の方が目にしてくださっているというのが嬉しいのです。

このエキサイトブログには「レポート」というメニューがあり、そのブログの管理人だけが訪問者数を見られるようになっている。
表についてないので、肝心のご訪問者の方々に見ていただけないのが欠点だが、どうやらこの数字は
「その日1日でこのブログを閲覧した人数の集計」
で、同じ日に同じ人が複数回見ても1人、同じ人がこのブログ内の記事を1つだけ見てもリンクを辿って全て見ても1人と数えている、らしい。
これにはブログ開設時からの累計が出るので、私はこの数字をここの正しい訪問者数だと考えている。

この「レポート」の数字とは別に、「ページビュー」のアクセス数というのもあり、この2つの数字のずれはなかなか興味深い。
「ページビュー」というのは、7月からこのブログに設置したエキサイトネームカードのいち機能である、アクセス解析で見ることができるようになった。
この「ページビュー」というのは、どうやら
「その日1日でこのブログを閲覧した人の延べ人数」
のようだ。
つまり同じ人が朝と夜に2回見ると2人とカウントされ、うっかりこのブログに迷い込んだ人が最新の記事だけでなく、ブログ内のリンクを辿って過去の記事まで読んでしまうとまた人数が増える。
(のだと思うのだが、勘違いしていたらごめんなさい)
だからいつも、
「レポート」 < 「ページビュー」
なわけなのだが、この数字が著しく違う日があり、ほんとに嬉しい気持ちになる。
なんの役にも立たぬ作文集だが、過去記事まで遡って読んでくださった人がいるのだと。
…実際は決して面白いからではなく、批判的な気持ちで目を通している人なのかもしれない。
それでもこのブログが、誰かの時間に有効に働いてくれてるのかもしれんと思うとなによりだ。
暇つぶしでいいから。

さて前述のアクセス解析とやらをつけて4ヶ月ほど経つが、検索エンジンでここに迷い込んでこられる人がこんなにいるのか、と意外に思った。
検索ワードランキングというのが毎月1位から10位まで出る。
7~10月までダントツで連続1位なのは
「上原晃」
だ。
私が心奪われていた沖縄水産高校→中日のピッチャー。
えー、と思いグーグルで検索するとお、恐れ多いことに最初に出てきた。
…上原氏についての検索トップが、野球をろくに知らぬ私のミーハー記事でよいのだろうか?
氏のことを知らずに検索した人が余計な誤解をしやしないだろうか。
ご本人が読んでいないことを祈っている。
と同時に今度は同時期に私が心奪われていた俳優・川野太郎氏についていつか書いてみようとちゃっかり思っている。
あとは
「清峰」
「ルチ将軍」
「でんだまお」
「あかるいな」
など心当たりのあるものばかりでふーんと思うが、面白いのは月初の集計である。

毎日、前日までの集計が月ごとに10位まで出るのだが、月の初めはたった1件でもこの集計に入ってくることがあり、予想もしない検索ワードが現れる。
「ぶらぶら体操」
こんな記事書いた覚えない。トラックバックか?
「息子が有害サイトを見て困る」
悩んでいるのだろう。しかしどれだけ読んでもこのブログでは解決しない。すまない。
「親の死が怖い」
これは書いた覚えあるな。この人の親御さんは相当切羽詰まっているのだろうか。これも何ら役に立てなかったことだろう。すまない。
11月はいったい何に驚かされるのだろうか。
驚かされ楽しませてもらうに値するだけの言葉数を、このブログはまだまだ取り揃えなければならないのだな。
# by akasatana-xyz | 2006-11-02 19:45 | このブログについて

子は親を選べない?

子は親を選べない。
というのはまぎれもない真実だと思っていた。
どんなろくでなしな親でも、生まれてくる子にとってはそれが宿命であるのだと。
しかし、本当にそうか?という疑念が芽生えたのは、ここ1年ほどのことである。

うちでは息子どもの行動に、私が激怒することが多い。
例えば、息子①は全く片付けをしない。
私   「○○くんおもちゃ片付けようね」
息子① 「イヤッ」
私   「片付けないとご飯食べられないよ」
息子① 「食べない」
私   「なら食べなくていいっ」
息子① (鼻歌を歌いながら遊び続ける)
私   「これとこれ箱に入れて」
息子① 「入れない」
私   「△△くん(息子②)だって小さいのにお片付けしてるよ」
息子① 「しない」
私   「幼稚園でもお片付けしないの」
息子① 「してる」
私   「なら家でもしなさい!」
かみなりおふくろと化す。

しかし一方で、私は気づいているのだ。
「この子らは、全く自分にそっくりだ」
ということに。
上の例で言えば、私は全く片付けが苦手だ。
しかも恐ろしいことに、今までそれをあまり深刻に受け止めてこなかった。
就職してからようやく、自分の机の上はほかの人より乱雑だなーと思ったが、大した問題意識もなく。
今思えば周囲も大人、いい年した人間に「片付けしようね」と説教するほど暇ではない。
そんな私の不得手な分野を、息子どもは容赦無くあぶりだす。
おそらく彼らは私の至らぬところをその小さな身をもって自覚させるべしと、あらゆる人の中から私を選んで身ごもられ、ここにいるんじゃないか。
そう思うと、自分の子供なんだからこれであたりまえなんじゃないかと思う。あんな風に般若のように怒る資格は無いのだと思う。

ここ数ヶ月の自分は、あまり体調がよくなかった。
5月の連休は寝込んでしまって台無しになり、夜中トイレに行って気が遠くなり、しばらく倒れていたこともあった。
献血で気分が悪くなったのも初めてだった。
病院にかかるほどではないのだが、何となくだるい感じ。
もう若くないのか。
それとも婦人科系統に何か異常でもあるのか。
9月は夕方に仮眠をとっていた。夏の疲れもあるのか。
買ったときにはゆるかったジーパンが、いつしかベルトなしでも下がらなくなっている。
元気がないのに、下半身に脂肪を蓄えている。
若くないのだ。
いやでも、最近はほんとに間食してないぞ。する気が起きないのだ。
不審に思っているうち、闇雲にレモン味の清涼菓子やカップ入りもずくを食べたくなった。
そのくせ、食欲があるようなないような変な感じ。
…待てよ、これは。

判明。
またひとり、私を選んで身ごもられた命がある。
今度の彼もしくは彼女は、私に何を自覚させるつもりなのだろう。
先日思い立って、新しいプランターと球根を買ってきた。
先駆けてクロッカスが咲きフリージアが咲き、遅れてチューリップが咲くらしい。これらの花がすべて散って街が新緑に包まれる頃、またうちが賑やかになる。
# by akasatana-xyz | 2006-10-16 05:04 | なんてことない近況