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節分が楽しみだった理由

今日は節分。
子供が生まれてから「豆をまくべきか…いや止めとこ」と毎年思う。
こういう季節のイベント、私は大好きだ。子供にもやらせたいけど、住宅事情が…。
他に小さい子のいないアパートの2階暮らし、階下の人は豆なんか降ってきたら驚くだろうなあ。
ただでもうるさい我が家、「鬼は~外!」っつっても、ねえ。
小さい子がいて集合住宅に住む他の人はどうしているのだろうか。

私の親は、そういう行事をわりときちんとやる人だった。
正月には床の間だけでなく、私や弟の机の上にも鏡餅を飾らせる。
3月には雛人形(うちの田舎は本来月遅れでやってたと聞き、私の家では4月上旬まで飾りっぱなしだった)を飾る。
5月にも兜を飾り、菖蒲湯に入る。
中秋の名月の時は、すすきを飾って月見だんごを作る。
冬至にはかぼちゃを食べてゆず湯に入る。
(といっても、私たちが小学生くらいまでだったけど)
その中でも私と弟が、クリスマスの次に楽しみだったのが、なぜか節分だったのだ。

私の家の節分には、鬼の役は存在しない。
みんな平和に、外に向かって豆を撒く。家のすべての部屋を回り、すべての窓から豆を撒く。
「鬼は~外、福は~内」ふつうだ。
いった大豆をすべて撒き終わると、家族4人が6畳に集まる。いつもふとんを敷いて寝ている、家具など一切置いていない6畳である。
電気を消す父。
「じゃ~始めるけんね」
バラバラバラバラ。
「キャ~」
歓声を上げる私、弟、そして母。

節分の夜、真っ暗になった6畳で何が起きているのか。

豆まきをする前、家族4人はこの6畳でのイベントの仕込みを行うのだった。
父が自分の財布を開け、小銭を出す。
みんなでいらない広告紙などを適当に切り、この小銭をキャンディのように包む。
個包装になっているお菓子などを確保し、この包んだ小銭といっしょにして仕込み完了。
暗い6畳で私たちが歓声を上げていたのは、父が撒くこの小銭やお菓子を手探りで探す際の声だったのだ。

再び電気をつける父。部屋の端に拾いそこねたのが現れ、また小さな争奪戦。
その後、居間に全員移動し、誰がどれだけ取ったか確認する。
チョコレートやキャンディーも嬉しいが、やっぱりいちばん嬉しいのは先程仕込んだ紙包。
大きいように見えて実は他の紙屑を丸め込んだだけのものや、小さいけど実は折り畳まれた千円札(サービス)が入ったものなどあり、開けてみるまで分からない。
そう。単に小遣い欲しさ、不純な動機で、我々子供は節分が大好きだったのだ。

こう書くと、発案者の私の父の人格が疑われるかもしれないので、一応フォローしておく。
子供なりに、お金を撒いて奪い合うのには一抹の後ろめたさも感じていた。
なんか、成金のすることみたいじゃないか。
そう思いつつ、大喜びする自分がちょっと悲しかった。
また、なぜ父はこんなことを思いついたのだろうと不思議でもあった。
父は堅実な性格で、外で飲んでくることもほとんどなくギャンブルも一切やらない。
堅実なのは我々子供にとっても同じで、小遣いは小学生当時、週に100円。しかも一時期、これからは毎日お小遣いあげるよと言われて1日に10円になったこともある。
祖父母から頻繁に小遣いを貰っていたので、欲しいものはそれで買っていた。
父が更に小遣いを渡す必要もなかったのだろう。
でも、子供を甘やかしてはいけないという気持ちの一方で、小遣いをあげて子供を喜ばせたいという気持ちもあったのだと思う。
それなら別に撒く必要もなく、普通に「おこづかいだよ」と渡せばとも思うが、年中行事がより楽しくなるように父なりに工夫をしたのだと今は思う。
照れ隠しもあったのかもしれない。

さて、誰がどれだけ拾ったかチェックしたあと、私と弟とがだいたい同じくらいの額になるように、父と母が少ない方に補填してくれたことも思い出す。
2人ともだいたい1,000円くらいもらっていた。
小学生の私と弟にとっては大金で、嬉しかったな。
よその家の人から見れば浅ましく思われるだろうが、懐かしい子供の頃の家族の思い出である。

…なんて書くとみんな故人みたいだな。父母弟全員健在だ。蛇足ながら。
by akasatana-xyz | 2005-02-03 11:25 | この日によせて
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